1944年10月10日、アメリカ軍による空襲で沖縄県などの各地が攻撃を受け、1400人以上が死傷し、那覇市の9割が焼失しました。
5日、那覇市若狭にある慰霊碑の前では「10・10空襲」やその後の沖縄戦の犠牲者を追悼する式典が開かれ、遺族などおよそ150人が参列しました。
はじめに黙とうを捧げたあと、那覇市連合遺族会の仲嶺盛雄さん(82)が「戦没者への哀悼のまことを子々孫々まで継承させ、再び戦争による惨禍が繰り返されないよう、平和の尊さを共有していきます」と述べました。
このあと参列者たちは慰霊碑の前で献花を行い、静かに手を合わせて、犠牲になった人たちを悼んでいました。
祖父を亡くした具志峯子さん(85)は「『年だから家に残る』と言った祖父のもとに爆弾が落ちて亡くなりました。祖父には私たちの平和を守ってほしいと伝えたいです」と目に涙を浮かべながら話していました。
当時、8歳だった照屋苗子さん(88)は「空襲のあとは真っ赤に燃えていて、それしか見えずなんと表現していいかわからない状況でした。戦争は本当に生き地獄で、若い人たちは戦争がないように努力していただきたい」と話していました。